

紹鴎の父武田信久は若狭守護大名武田氏の後裔で、諸国遍歴ののち泉州堺に定着、武野と姓を改めた。三好氏の援助を得て武具に必要な皮革業を営み産をなした。紹鴎は若い頃より歌道を志し、24歳の時に上洛、当代随一の古典学者三条西実隆に歌道を学んだ。また、歌道を研究するかたわら茶の湯を学んでいたが、実隆から歌道の極意ともいうべき定家の『詠歌大概之序』の講義を聞き、茶道の極意を悟ったという。31歳のときに堺に帰り、剃髪して紹鴎と号した。紹鴎は、珠光が理想とした侘び茶を完成させた茶人であるが、足らざることに満足し、慎み深く行動することを説いた。そのため、貴族趣味の書院茶をさけ、藁屋根の四畳半に炉を切って茶室とし、唐物の茶器のかわりに信楽、瀬戸などの日常雑器のなかから茶道具を選んで使用したのである。茶の湯とは、それを行なう空間、道具よりもまずは心の持ち方であることを自ら実践し、遊興や儀礼のひとつであった茶の湯に侘びの精神を吹き込み、「冷え枯れ」という連歌の美学を理想として、茶道中興の祖といわれる。また紹鴎は、定家の有名な歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」のなかに草庵の侘び茶の理想を見いだしたのであった。
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