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禅と墨蹟

墨蹟とは禅の祖師たちが残した書蹟のことをさし、一般の書蹟とは区別している。しかし、文字としてはほとんど変わりないといってよい。ただ区別する理由を挙げるなら、墨蹟には禅味がなくてはならず、たんに上手下手ということではない。禅という思想なり、哲学なりがそこに存在しているかどうかが肝要なのである。では禅の思想や哲学とはどういうものか、これはひとくちではいえないが、禅の修行を通して得た精神的なものの発露、とでもいったらよいのであろうか。
村田珠光が茶の湯を改革するにあたり、大徳寺の一休宗純に禅を学んだことはよく知られているが、悟りを開いた証として圜悟(えんご)禅師の墨蹟を、印可の証として授かった。それでは珠光はなにを悟ったかといえば、「仏法も茶の湯のなかにあり」と悟ったのである。これを分かりやすくいえば、仏の教えというものはお経のむずかしい言葉や、偉い坊さんの話のなかにあるばかりでなく、日常口にするお茶のなか、つまり日々の生活のなかにある、という平凡な真理を得たということである。以来、珠光は数寄屋の草庵座敷の床にこの墨蹟を掛けて茶を点て、またそれが動機で数寄屋の床の間には仏画や唐絵に代わって禅宗の墨蹟を掛けることが決まりとなった。
また後年、千利休は茶器のうちでも掛け物ほど第一のものはないとしているが、その掛け物のなかでも墨蹟を最上位に挙げている。『南方録』によれば、利休は「其文句の心をうやまひ、筆者道人祖師の徳を賞翫するなり」と述べている。


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解説: 千利休 村田珠光 茶禅一味

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