TOPICS

戦国時代の貨幣
戦国時代の貨幣制度は不明な点が多いのですが、使用されていた貨幣の中心は中国からの渡来銭が多く、私的に鋳造された私鋳銭は劣悪で「鐚(びた)銭」とも呼ばれました。戦国末期に豊臣秀吉によってわが国最初の大判といわれる「天正大判」が鋳造されましたが、金・銀・銭の三貨体制が確立されるのは、江戸時代に入ってからのことです。それでは、戦国時代の貨幣についてもうすこしくわしく見てみましょう。
「渡来銭」には宋銭、明銭が多く一枚一文の値がありました。「私鋳銭」はもっぱら国内で鋳造されましたが、長崎でつくられた長崎銭が有名です。「永楽銭(永楽通宝)」は明の永楽帝時代(15世紀初頭)から鋳造されたもので、やはり一枚一文でした。室町時代以降からわが国に定着しましたが、小田原北条氏はその価値を他の良銭の二倍としたため、経済活動の中心となりました。
戦国時代には「鐚(びた)銭」の流通量が多く、値打ちが低かったのでこれを嫌う傾向が強くなりました。これを「撰銭(えりぜに)」といい、商取引の停滞を招いたため幕府や大名はこれを禁止する「撰銭令」を乱発しました。1569年(永禄12)の織田信長のものが特に有名ですが、比較的効果があったといわれています。

# 次のページ
* 前のページ

関ヶ原日記
1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

最新のTOPICS
以前のTOPICS

HOME