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清正のトラ退治、本当は鉄砲だった!?
加藤清正は江戸時代、大衆の間で人気が高く、歌舞伎にもしばしば登場します。演目とはまったく関係ないのに、「さしたることはなけれども、現れ出でたる清正公」の台詞とともに突然登場し、すっと舞台を横切って退場するだけで観客が大喜びしたくらいです。
朝鮮出兵における〈虎退治〉、慶長の大地震の時「いの一番」に伏見城にかけつけ、秀吉の勘気がとけたという〈地震加藤〉、二条城での家康と秀頼の会見をお膳立てした後、毒殺されたという〈毒酒の清正〉や〈毒饅頭の加藤〉といったエピソードがよく知られ、歌舞伎だけでなく講談や読み物の題材として取り上げられています。
なかでも一番有名なのが〈虎退治〉ですが、これは後世に脚色が加えられたものです。実際には鉄砲を使ったのですが、「賤ヶ岳の七本槍」の一人として名高い清正のこと、槍で退治したことにしたのでしょう。こうして勇猛なサムライの典型として、明治以降には国策に利用され、理想化された「清正像」が一人歩きするようになりました。しかし私たちは、朝鮮半島ではその暴虐ぶりが今なお語り継がれている事実、また歴史教科書の記述問題でアジア諸国が日本の侵略戦争の責任問題に猛省をうながしている現状などをけっして忘れてはならないでしょう。
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