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武士とお歯黒
江戸時代の既婚女性が、鉄漿(かね)付けと呼ばれる「お歯黒」を施していたことはよく知られていますが、じつは戦国時代の公家や、上流階級の武士もお歯黒をしていました。小田原の北条家、今川義元などの例は有名ですが、豊臣秀吉も小田原征伐のときにお歯黒を付けたといいます。これは、別段おしゃれにうつつを抜かしたというのではなく、合戦で討ち死にしても見苦しくないよう、つねに死に対しての心構えをしていたと見ることもできます。
慶長五年、大垣城落城の頃を記した『おあむ物語』には、討ち取った敵方の首にお歯黒をして上流武士に見せかけ、恩賞にあずかろうとした者がいたと書かれています。武士のお歯黒は、元亀・永禄の頃には下火になりましたが、宮中や公家社会では徳川末期まで続きました。また女性の場合、地域によって異なりますが、明治末までこの風習が残っていたところもありました。

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