関ヶ原日記

12月×日
下旬、会津から上洛した本庄繁長(上杉景勝家臣)は、本多正信(徳川家康家臣)・榊原康政(徳川家康家臣)・西笑承兌(家康のブレーン・4月1日参照)をたより、上杉家のサバイバルをめざし奔走しました。(11月3日参照)その結果、翌年7月24日、上杉景勝は、家臣・直江兼続を従えて上洛。8月8日、結城秀康(家康2男)に伴われ、伏見城で徳川家康に謁見、謝罪しました。8月16日には上杉家の処分がきまり、会津若松120万国から出羽米沢30万石に減封されたものの、上杉家は存続することができたのです。

# 次のページ
* 前のページ

関ヶ原日記
1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

最新のTOPICS
以前のTOPICS

HOME