関ヶ原日記
12月13日
上田城で徳川秀忠を足止めした真田昌幸・信繁(通称・幸村)父子は、信之(昌幸の嫡男)の助命嘆願により死罪を免れました。この日、昌幸たちは配流の地・高野山にたどりつきました。高野山といっても山上ではなく山麓の九度山(和歌山県)に館を構え、家臣もいて、比較的行動に自由がきいたようです。しかし、金銭面では苦労したようで、信之にあてた金子無心の書状が何通も残されています。1611年昌幸は病没、信繁はその後、大坂の陣で大坂城に入城、徳川家康を危機に陥れるほど華々しく活躍し、戦死しました。
井伊直政(家康家臣)は島津義久の上京を重ねて求めました。
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