関ヶ原日記
11月×日
この頃、徳川家康は徳川秀忠に、徳川家の御座所を関東におくか上方にするか意見を求めました。秀忠が「若輩の身ですから、いかようにもおとりはからいください」と返答すると、家康は機嫌よく「しからば関東に御座あって天下の政務を行はるへし」と決意したともいいます。しかし、家康はしばらく大坂・京都を離れることができず、江戸に帰りついたのは、翌年の11月5日でした。
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