関ヶ原日記

10月13日
佐竹義宣(常陸水戸城主)は一族の岩城貞隆(陸奥岩城城主)とともに、上杉景勝攻略のため出陣することを、伊達政宗(陸奥岩手沢城主)・最上義光(出羽山形城主)に報じ、この日、義光はそれに賛同しました。
佐竹義宣は表面上家康に従う素振りをみせながら密かに西軍を支援していたといわれています。(7月27日・8月7日参照)
1602年、義宣は領国を没収され、出羽に改易されました。徳川家康は「勢を見て兵をおこし敵となるは武の常なり。勝敗もまた命なるときは咎むべきにあらず。しかれども義宣はその心両端を持して家を全うせんとす。われこれをにくむ事景勝に過たり」と断罪したといいます。

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