関ヶ原日記

10月10日
徳川家康は毛利輝元の処遇を決定し、起請文を送りました。周防・長門を与え、身命を助けるという内容です。この2ヶ国は吉川広家に与えられるはずのものでした。(10月3日参照)
毛利家は安芸・周防・長門・石見・備後・出雲・隠岐、備後等7ヶ国120万石からわずか36万石の領主へ転落したことになります。この日、輝元は出家し宗瑞と号し、子秀就に家を継がせました。
家康は山城鞍馬で捕らえた島津義弘の臣、木田信貞らを赦し、帰国させました。島津義久に上洛して罪を謝罪するよう求めたのです。

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