関ヶ原日記
9月12日
徳川家康はこの日も清須に留まります。風邪気味だったようで薬も服用しています。 しかし、これは敵前において2日間逗留するための口実だったと考える人もいます。
石田三成は、大坂城にいた増田長盛(大和郡山城主)に長文の書状を認めました。こ んな内容です。「長束正家・安国寺恵瓊らは戦意もなく水の補給も困難な垂井の山上 に陣取り動こうともしない。貴殿ですら家康に内通しているという風評がある。人質 としている東軍諸将の妻子を数名成敗すれば敵も動揺するに違いない。毛利輝元が出 陣をとりやめたのはもっともだと思う。徳川家康が西上しない限り不要だろう。しか し、下々のものは不審がっている。」
この書状は京極高次(近江大津城主)の手に落ち、高次から家康本陣に送られたとも いいます。しかし、西軍による大津城攻略も最終段階に入り、高次にそんな余裕があ ったとも思えません。また、西軍が家康の動きを全く察知できなかったとも思えませ ん。現に、伊勢湾は九鬼嘉隆がおさえていたのですから、全くの偽文書もしくは、東 軍が自らを鼓舞するため、三成の情けない書状をつくらせたのでないかと、思われます。
前田利長は家康の要請に応え再び出陣します。(9月8日参照)
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