関ヶ原日記

9月10日
徳川家康は尾張・熱田に着きました。熱田の浜辺から5〜6町ほどの距離に九鬼嘉隆(8月29日参照)の大船一艘が見え、西の海辺4〜5カ所には九鬼船による放火の煙がたちのぼっていました。家康は藤堂高虎(伊予板島城主)に書状をおくり、11日、一宮(愛知県)に会いに来るよう伝えました。
大友吉統(よしむね)は九州のキリシタン大名として有名な宗隣の嫡子です。吉統は優柔不断な人物で、1593年、朝鮮の役での敵前逃亡により、改易、幽閉されてしまいます。1599年、吉統は恩赦で自由の身になり、関ヶ原合戦では毛利輝元(安芸広島城主)の手助けで旧領回復をめざします。この日、吉統は旧領・別府浦(別府市)で下船、布陣すると、大友氏の旧臣や農民たちが次々と集結してきました。
石田三成(近江佐和山城主)は毛利輝元に書状を送り、出馬を促しました。

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