関ヶ原日記
9月8日
徳川家康は遠江白須賀に着きました。再び、小早川秀秋(筑前名島城主)の使者が家康陣を訪れます。家康の御前へでることはありませんでしたが、家康は使者を厚遇したようです。(9月3日参照)秀秋は伏見城攻めには参加したものの、その後は病気療養と称して、伊勢と近江をいったりきたり、摩訶不思議な動きをしていました。
家康は前田利長(加賀金沢城主)に美濃の戦況と京極高次の大津籠城を告げ、速やかに出陣するよう求めました。
越後の堀親良(秀政の二男)は、上杉景勝の将、斎藤利実・柿崎景則等の一揆を下田郷に攻め壊滅させました。(8月2日参照)
石田三成(近江佐和山城主)は佐和山城から大垣城に戻ってきました。
上杉景勝(会津若松城主)は最上義光(出羽山形城主)討伐を決し、重臣・直江兼続
が出陣しました。(8月18日参照)
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