関ヶ原日記
9月7日
徳川家康は遠州中泉に到着しました。
京極高次の大津城籠城は、京極高知(高次の弟)や井伊直政(家康家臣)を介して家康に伝えられました。家康は早速、高次に書状を送り、一刻も早く出馬を急ぐと申し送ります。(9月3日参照)また、伊達政宗(陸奥岩手沢城主)・最上義光(出羽山形城主)にも書状を送り、美濃の戦況と京極高次の籠城を伝えました。
毛利秀元(輝元の養子)・吉川広家(毛利家軍事顧問)、長宗我部盛親(土佐浦戸城主)・長束正家(五奉行・近江水口城主)の諸将は伊勢路を北上し、関ヶ原西南の南宮山に陣をとりました。
加藤清正(肥後熊本城主)は本多正信(家康家臣)らに書状を送り、西軍から豊臣秀頼への忠節をつくすよう求められましたが、黒田如水(豊前中津城主長政の父)と連絡をとり、動じない旨を伝えました。
近衛信輔(前左大臣)・廣橋兼勝(権大納言)・西笑承兌(じょうたい・4月1日参照)などが集まり、東西両軍の調停を相談しました。
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