関ヶ原日記

9月1日
徳川家康は江戸城西の丸(当時、御隠居曲輪とよばれていました)を出て、西上を開始します。暦の上では「西ふさがり」でしたので、家臣の石川家成が家康に尋ねると、「西が塞がっているからあけにまいる」と挨拶し出陣したのです。この日、家康は神奈川に宿泊しました。家康は赤坂の東軍諸将に書状を送り、自らの出陣を告げ、家康の到着までは動かず、陣地を堅守するよう重ねて命じました。また、真田信幸(上野沼田城主)・堀 直寄(越後坂戸城主)への書状では、大垣城を水攻めにすると記しています。
遠藤慶隆(美濃小原城主)、金森可重(飛騨高山城主長近の養子)は郡上八幡城を攻撃しました。城主・稲葉貞通は犬山城に籠城していましたが、岐阜落城後、東軍に降りました。しかし、この情報は慶隆らには伝わってなかったのです。なお、八幡城では貞通の子、通孝が籠城し奮闘しましたが、9月2日には降伏してしまいます。

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