関ヶ原日記

8月21日
徳川家康は森 忠政(信濃川中島城主・2月1日参照)に書状を送り、自らの出馬予定を26日と告げ、忠政には徳川秀忠の指揮下に加わるよう命じました。 岐阜攻めの諸将は二手にわかれて清須を進発しました。対する西軍は竹ヶ鼻城(羽島市)に杉浦五左衛門、岐阜城に織田秀信、犬山城に城主・石川貞清(石田三成の女婿)と援将稲葉貞通(美濃郡上八幡城主)・稲葉典通(貞通の長男)・加藤貞泰(美濃黒野城主・7月20日・8月3・7日参照)・関 一政(美濃多良城主)・竹中重門(美濃菩提山城主)がひかえていました。さらに、石田三成・小西行長(肥後宇土城主)は岐阜城西方の河渡方面に進出し、垂井に駐屯していた島津義弘も墨俣に陣を移し、迎撃の準備をしています。

# 次のページ
* 前のページ

関ヶ原日記
1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

最新のTOPICS
以前のTOPICS

HOME