関ヶ原日記

8月19日
村越直吉が清須城に着きます。(8月13日参照)東軍諸将の不満に対して、直吉は次のように答えました。「(家康の)御出馬有ましきにてはなく候へども、各共(清須城の諸将)手出し(動き)なく故に御出馬無く候、手出しさえあれば、急速に御出馬にて候はん」この返答に、本多忠勝・井伊直政は冷や汗をかいたといいますが、福島正則は扇を広げ、直吉の顔を二三度あおぎ、「もっとも」とうなずいたのです。東軍の諸将は家康の命がなく、勝手に戦うのは軍令違反になると懸念していたのです。
東軍の徳永寿昌(美濃高松城主)・市橋長勝(美濃今尾城主)らは、高木盛兼の高須城(岐阜県海津町)を攻め落としました。これで、南濃の大部分は東軍の配下になり、大垣・岐阜方面と伊勢を分断することができたのです。

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