関ヶ原日記
8月2日
毛利輝元は豊国社に神楽を奏しました。高台院もこれに詣でています。ドラマの世界で高台院は家康シンパを演じますが、ほんとのことはわかりません。
木下利房宛連署状(8月1日)と同様6人の連署状で、真田昌幸(信濃上田城主)に畿内の情勢をつげています。その中で、伏見城落城を宣伝し、田辺城陥落も目前と記していますが、細川幽斎の奮闘は続いています。(7月18・20日参照)
徳川家康は伊達政宗・森 忠政(信濃川中島城主・2月1日参照)への書状で、会津方面に秀忠を残し、自らは清須まで近々出陣すると報じました。
越後では旧領主だった上杉氏に扇動され、神官・僧侶たちが中核となって各地で農民一揆をおこしました。この日、堀 直寄(直政の子)は上杉氏の武将・松本伊豆守等が指揮する一揆軍を破っています。(3月4・5日参照)
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