関ヶ原日記
7月31日
金沢を出陣した前田利長は丹羽長重の守備する小松城攻略を断念、南下してもと小早川秀秋の家臣・山口正弘の大聖寺城を攻撃しました。
大坂城に毛利輝元・宇喜多秀家・石田三成・三奉行(増田・長束・前田)が集結しました。6人の連署状で、木下利房(若狭高浜城主)に、前田利長に対抗するため、青木一矩(かずのり)の越前・北庄城赴援を命じました。利房の兄、木下勝俊(若狭小浜城主)も動員されています。さらに、大谷吉継(敦賀城主)・京極高次(大津城主)・脇坂安治(淡路城主)等が西軍の北陸攻略軍として控えていました。
脇坂安治の子、安元が徳川家康の側近・山岡道阿弥に書状を送り、家康はこの日返書をだしました。家康は木曾義昌の旧臣に挙兵させようとしました。(7月28日参照)
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