関ヶ原日記
7月17日
毛利輝元は大坂城西の丸から留守役・佐野綱正を追いだし、西の丸を占拠、子・秀就を本丸に送りこみました。この日、三奉行(増田・長束・前田)の連名で、家康を糾弾する「内府違いの条々」が発せられました。この写と輝元・宇喜多秀家の連署状、あるいは三奉行の連署状が全国の諸大名に送られたのです。
西軍は大坂や伏見にいる家康に従った武将たちの妻子を人質として大坂城に収監しようとしました。しかしこの作戦はうまくいきません。一番悲惨だったのは、細川忠興の夫人・ガラシャ(明智光秀の娘)のケースです。ガラシャは人質とされることをこばみ、屋敷に火を放ち自殺してしまったのです。
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