関ヶ原日記
7月11日
大谷吉継は石田三成に与することを決断し、佐和山城にもどりました。この時、吉継は三成に、「其元は諸人に対して、ことのほか横柄(へいくわい)で、諸大名をはじめ末々の者まで、日頃からあしく取りざたしている。今度の大儀も毛利輝元・宇喜多秀家を立て、その下で事をとりはからいなさい」と忠告したといいます。
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