関ヶ原日記

7月5日
宇喜多秀家が豊国社に詣でました。この日は秀吉の命日ではありませんので(1月18日参照)、秀家がこの時点で対家康戦を覚悟していたと考える人もいます。
吉川広家が、家康の東征従軍のため、出雲富田城(島根県能義郡広瀬町)を出陣しました。広家は元春(毛利元就の次男)の子、武勇をもって知られ、毛利輝元の軍事顧問といった役回りでした。広家が福島正則・黒田長政らと親しかったことが、関ヶ原合戦で毛利家が複雑な動きをすることになったのです。

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