関ヶ原日記

7月2日
徳川秀忠は父・家康を武蔵・品川に迎え、ともに江戸城に入城しました。
このころ、大谷吉継が垂井に到着しました。吉継は当時、敦賀、五万石の領主、ハンセン氏病を煩っていましたが、家康と景勝の争いを調停するために出陣したともいいます。吉継は垂井から三成に書状を送り、三成の嫡男・重家の同道を求めましたが、かえって、三成から佐和山城へ招かれ、家康討伐の計画をうち明けられたのです。

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