関ヶ原日記
4月11日
五奉行の中でも長束正家は財務、前田玄以は京都・朝廷対策のスペシャリストで、残りの石田三成・浅野長政・増田長盛が政務全般という感じです。三成と長政は相当仲が悪かったようで、来日していた宣教師も二人の対立を関ヶ原合戦の要因にあげているほどです。その二人も1599年閏3月と9月に強制引退させられ、態度の煮え切らない増田長盛しか残らなかったことが豊臣家の不幸といえるでしょう。
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