関ヶ原日記
2月17日
「淀君」の君はいくぶん差別用語の意味あいを含んでいます。当時のストリートガールが「辻君」と呼ばれたからです。当時の人々が彼女にむかって「淀君」とよんだりすることはありません。幼名は「お茶々」で、「淀殿」「二の丸殿」「西の丸殿」などと呼ばれていました。この日記でもこれからは、少し堅苦しく感じるかもしれませんが、「淀殿」とよぶことにします。「淀君」という名が広まったのは江戸時代のかなりあとになってからで、彼女の奔放ぶりが豊臣家を滅した、といったニュアンスを含んでいます。(つづく)
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