宇喜多秀家
うきた ひでいえ
1572(元亀3)−1655(明暦元)
父直家が没すると秀吉の養子となり、秀吉の一字を与えられて秀家と名のった。四国、九州の陣に従軍して功をあげ、文禄の役、慶長の役でも活躍。秀吉の五大老。関ヶ原の戦いでは西軍の謀主に擁され、敗戦後、八丈島に流され、在島50年の1655年(明暦元)、島で没した。
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