井伊直政
いい なおまさ
1561年(永禄4)―1602年(慶長7)

戦国武将

家康の覇業を支えた「赤備え」の将

 本田忠勝と同じく、三河譜代の徳川家康の重臣。父は今川氏に仕えたが、謀反の疑いで死んだあと、直政は各地を流浪し、15歳のとき浜松(はままつ)城下で家康の目にとまり取り立てられた。武田勝頼との初陣で手柄をたて、弱冠22歳で旗本(親衛隊)の長となった。
 直政の軍団は装束をすべて赤色で統一したため、「井伊の赤備(あかぞなえ)」と呼ばれ、その勇猛ぶりは敵に恐れられた。
 直政は軍事面だけではなく、諸大名との折衝にも手腕を発揮した。軍功も誇らず、他人の功績をほめる謙譲さと冷静沈着に善悪を判断できる能力をかわれ、家康家臣団の第一人者となった。
 関ヶ原の戦では本多忠勝とともに(徳川方の)諸大名を指揮した。その功により、戦後、18万石を与えられたが、戦いのときに受けた傷がもとで、2年のちに没した。

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