本多忠勝
ほんだ ただかつ
1548年(天文17)―1610年(慶長15)

戦国武将

家康に滅私奉公した三河譜代の豪勇

 三河(みかわ)譜代(徳川家康がその第一歩を踏み出した三河以来)の家臣団の中核をなした。
 13歳のときの初陣以来、家康が戦った57回すべての合戦に従軍したが、身に傷をうけたことがなかった。その戦いぶりにより頭角を現し、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(からのかしら、とは家康秘蔵のヨーロッパ産の兜のこと。当時は中国もヨーロッパも外国を唐と呼んだ)に本多平八」と謳われた。また小牧・長久手の合戦で、わずかの手勢を率いて多勢の秀吉軍を挑発し、家康を守ろうとした豪勇ぶりは有名である。
 家康が引退した後は次第に官僚派に遠ざけられ、63歳で病没した。

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