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バテレン追放令にまつわる謎
1587年(天正15)、豊臣秀吉は九州平定の帰途、博多において突然「バテレン追放令」を発して周囲を大いに驚かせました。九州遠征では宣教師たちに好意的に接し、戦災で焼けた博多の教会復興の許可も受け入れていたからです。しかも博多滞在中、秀吉はそれまでポルトガル船を見たことがないからと、フスタ船と呼ばれる小型の船に乗船し、宣教師たちから歓待されていたという事実があったからでした。
乗船した秀吉は、南蛮料理とワインを楽しみ、船内をくまなく見学してからレモン漬けとワインのおみやげまでもらって引き上げましたが、船のなかではポルトガル語を書いてくれとせがみ、そのことばを二三度繰り返して「予はバテレンの弟子だ」と冗談まで言って周囲を笑わせたというのです。これは、博多の豪商神屋宗湛の日記に出てくる有名なエピソードです。
史上名高い「バテレン追放令」は、フスタ船に乗船した6日後の7月24日の晩、突如発令されました。バテレンは20日以内にただちに国外へ退去、という厳しい内容で、また秀吉と同じ陣にいたキリシタン大名高山右近にも棄教を迫り、従わない場合は領地没収という命令をくだしたのでした。しかし、わずかな期間に生じた心境の変化は、今となっては想像する以外に方法はありません。

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