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名門・島津家---薩摩隼人の伝統
薩摩・島津家初代忠久は源頼朝の落胤と伝えられていますが、これが本当であれば鎌倉時代の守護で唯一、明治維新まで生き残った大名、ということになります。戦国時代に活躍した15代目の義久は四人の兄弟とともに結束し、勢力争いの激しい九州にあって、大友や龍造寺との戦いに勝利し、破竹の勢いでその勢力を広げました。さすがに秀吉の前には屈しましたが、関ヶ原の戦いに参戦した次男・義弘は有名な「敵中突破」で戦線離脱を敢行、後に「島津侮りがたし」と家康をも妥協させることになります。このように敏捷で勇猛な薩摩隼人は、中央権力への反抗を伝統的精神とし、そのたくましい闘争力と強い団結力をもって怖れられ、異彩を放つ存在でした。
また闘争心や勇猛心の表れか、宴会はいつも破天荒で、酒の飲みっぷりもきわめて旺盛であったと言いますが、それを物語るこんなエピソードが残っています。宴たけなわになると、車座の真中につるした火縄銃の導線に火をつけ、推力を生じた銃がぐるぐるまわって最後に発射される弾がだれに当たるかのかを楽しむ、といった余興を行なったというのです。戦国版「ロシアン・ルーレット」が存在したのも驚きですが、こんな無謀な遊技で精神的ストレスを発散さる薩摩武士のタフさには驚嘆してしまいます。

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