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風流踊りもパラパラも、踊る楽しさはみな同じ
応仁の乱が終息したころから、京の都では風流(ふりゅう)踊りが盛んとなり、民衆の乱舞が町のいたるところでくり広げられました。そもそもは、京都近郊の農村で行なわれていた盂蘭盆会の踊り「念仏拍子物」がしだいに市中に定着し、町の団結をうながす芸能として発達したといわれています。そのため「四条踊り」「室町衆風流」「上京衆風流」などと、当時は地名を冠していました。
大勢の人々が風流傘や灯籠を囲んで熱狂的に踊ることで町の団結をはかる、というのもなかなか興味深いものです。今日でも「よさこいソーラン節」のコンテストをめざして一致団結し、荒れていた高校生がすっかり様変わりした、という話題がニュースになったこともありました。踊りというものは、良い意味でも悪い意味でも、人を狂わせる要素をもっているのでしょうか。
狩野長信「花下遊楽図屏風」には、最新流行のファッションに身をつつんだ若い男女の、いかにも楽しそうな風流踊りが描かれています。
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