関ヶ原日記
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豊臣家の命運が定まったこの年、豊臣秀頼は8歳のおぼっちゃまにすぎませんでした。秀頼はこの年から15歳までの間に「豊国大明神」の神号を多数認めています。これは各国に分祀された豊国社やゆかりの大名たちに分け与えるためのものと考えられています。秀頼のお手本になったのは後陽成天皇の宸書だったようです。(4月2日参照)
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