関ヶ原日記

11月12日
徳川家康は黒田如水(筑前名島城主長政の父)からの報告をうけて書状を送りました。季節が厳寒にむかう時分であり、如水らの島津攻めをとりやめ年内はそれぞれ帰国するようにという命令でした。(11月8日参照)家康は如水による九州一円の席巻を懸念していたともいいます。如水も10月4日に吉川広家(毛利家家臣)に送った書状の中で、「10月まで西軍と東軍がにらみあった状況が続いていれば、中国地方まで切り従えてひと合戦しようと思っていたのに残念だ」と心情を吐露しています。論功行賞でも、家康は如水に恩賞をあたえませんでした。側近がたずねると「如水が動きは底心の知れぬ事なれば、長政(如水の子)のみ恩賞してよきぞ」と語ったともいいます。

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