関ヶ原日記
10月×日
この月の末、宇喜多秀家(元・備前岡山城主)の家臣・新藤正次が大坂の本多正純 (徳川家康家臣)を訪れました。正次の案内で秀家が潜んでいるという伊吹山山麓を 探査し、農家で秀家の脇差が発見されました。その家の婦人から持ち主は10日ほど 前に死去したと知らされました。脇差は家康のもとに届けられ、秀家探索はひとまず 幕をおろしたのです。その頃、秀家は薩摩に落ちのび、島津氏に庇護されていまし た。しかし、島津氏と家康の和議が成立した後、秀家の生存が家康に発覚していまい ます。島津忠恒・前田利長(加賀金沢城主・宇喜多秀家の正室の兄)の助命嘆願によ って、1603年、秀家は久能山(静岡県)に幽閉され、その3年後、八丈島に流罪 となりました。1655年、秀家は病没。84歳の長寿でした。
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