関ヶ原日記
9月14日
徳川家康は夜明け前に岐阜を発し、正午ころ赤坂に着き、東軍諸将と会し、軍略をね りました。石田三成の家臣・島左近に挑発された中村一栄(駿河府中城主一氏の弟) は杭瀬川を越え進撃しますが、島左近の伏兵に逆襲され敗れました。
吉川広家(毛利輝元家臣)は使者を黒田長政(豊前中津城主)の陣営におもむかせま した。長政は福島正則(尾張清須城主)と相談して、使者を井伊直政(家康家臣)・本多忠勝(家康家臣)に引き合わせ、家康に報告しました。直政と忠勝は吉川広家に 起請文を送っています。直政と忠勝は小早川秀秋(筑前名島城主)の家臣にも誓書を 送っています。小早川秀秋が松尾山に着陣したのもこの日です。
京極高次(近江大津城主)は高台院・淀殿・金剛峰寺の応其のすすめにより、大津城 を開城しました。
午後7時ころ、西軍の主力は大垣城から関ヶ原へと動きだしました。その理由につい て諸説ありますが、家康本陣にいた板坂卜斎は「小早川秀秋謀反との風聞に仕置きい たすべきとて出られ候」と記しています。東軍の先鋒、福島正則も西に動きだし、西 軍の最後尾と行軍中ぶつかるほどでした。
# 次のページ
* 前のページ
関ヶ原日記
1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月
最新のTOPICS
以前のTOPICS
戀HOME