関ヶ原日記
8月17日
黒田長政(豊前中津城主)は、吉川広家(毛利輝元家臣)に書状を送り、徳川家康は毛利輝元がなりゆきで西軍に与したにすぎないことを理解している旨を伝えました。(8月8日参照)
東軍の徳永寿昌(美濃高松城主)・市橋長勝(美濃今尾城主)らは、丸毛兼利の守備する福束城(岐阜県輪之内町)を攻め落としました。兼利は敗走し、大垣城に入ります。(8月16日説もあります)
本願寺教如(東本願寺初代)は小山の陣中に徳川家康をたずね、帰路、大垣城の石田三成に路を阻まれましたが、織田秀信(岐阜城主)の斡旋により、無事、京都に帰りつきました。
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