関ヶ原日記
8月8日
徳川家康は書状を黒田長政(豊前中津城主)に遣わしました。吉川広家(出雲富田城主・7月5日参照)が長政を頼り毛利家の立場を弁明したのに答えたもので、家康は毛利輝元を兄弟のように思っていたのに、今度の事で不審を抱いたが、輝元じしん御存知なかったのを知り満足した、という内容です。関ヶ原本戦での毛利軍傍観はこの時伏線が張られたのです。なお、吉川広家は、黒田長政や榊原康政(家康家臣)を頼り、直接、家康と交渉していません。その事が、毛利家の戦後処分を重くした原因でもありました。
本多正純は黒田長政に対し、井伊直政が病のため本多忠勝が先鋒として出陣することをつげています。
小松近郊の浅井畷で、前田軍別働隊と丹羽長重(小松城主)が戦いました。前田軍は苦戦を強いられました。(8月5日参照)
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