関ヶ原日記

7月30日
徳川家康は藤堂高虎(伊予板島城主)に書状を送り、福島正則(尾張清須城主)・池田輝政(三河吉田城主)・田中吉政(三河岡崎城主)と相談して、道路のメンテナンスを命じました。大軍がスムーズに進軍できるようにです。
石田三成は真田昌幸(7月21日参照)に書状を送りました。昌幸が計画をぎりぎりまで知らされなかったことに不満を述べたのに対し、謀がもれるのを恐れたためだと釈明、上方の形勢を報告し、来春までに関東に出撃すると申し送っています。関ヶ原合戦に関して、三成が発した書として確かなものは、実はこれが最初のものです。

# 次のページ
* 前のページ

関ヶ原日記
1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

最新のTOPICS
以前のTOPICS

戀HOME