関ヶ原日記
7月19日
伏見城の留守居を徳川家康から委ねられていた島津義弘は同城に入城しようとしますが、鳥居元忠はこれも拒否しました。(4月27日参照)
西軍の伏見城攻撃がはじまりました。
徳川秀忠は江戸城を発し、会津にむかいました。
午後4時ころ、徳川家康のもとに、増田長盛の書状が届きます(7月12日参照)。家康は、変報を先発の諸将につげています。
加賀井秀望(羽島市加賀野井出身)は、東下の途中、水野忠重(三河刈谷城主)を刺殺しましたが、同席していた堀尾吉晴(越前府中城主)に斬り殺されてしまいました。秀望を石田三成の放った刺客という説もありますが、ほんとのことはわかりません。
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