関ヶ原日記
7月14日
吉川広家は毛利輝元の摂津木津邸の留守役・益田元祥と議し、家康に毛利家が三成等の挙兵に関与していないことを報告しました。島津義弘は家臣を薩摩に遣わし、在京の兵では足りないので、兄・義久に援軍を求めました。
このころから京都の町中でも天下大乱の噂話が世情にのぼるようになります。山科言経は日記に「天下雑説有之」と記しています。
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