関ヶ原日記

3月12日
1599年、義弘と忠恒は京都・伏見にいましたが、伊集院の反乱もあり、家康から帰国を勧められました。しかし、義弘は伏見にとどまり、本国と畿内の連絡役をつとめ、そのまま関ヶ原合戦を迎えることになったのです。なお、関ヶ原合戦で、義弘の身代わりとして戦死した豊久は義久・義弘の弟家久(1589年死去)の遺児になります。

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