関ヶ原日記

2月23日
秀吉の死によって朝鮮出兵は終結しますが、両国間の戦後処理は棚上げのままでした。朝鮮側は前提条件として、捕虜と王の墓を荒らした者の引き渡しを強く求めていました。この日、小西行長・寺澤広高、宗 義智らは交渉の糸口をさぐるため160名の捕虜を送還しました。義智(よしとし)は対馬の領主。奥さんは行長の娘・マリア、関ヶ原合戦では西軍に与しましたが、戦後マリアを離別、所領は無事でした。その後も対朝鮮問題のエキスパートとして活躍。1609年、両国間で和平条約が締結されました。

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