関ヶ原日記

2月11日
1588年、兼続は景勝とともに上洛、秀吉から豊臣姓を許されるとともに、従五位下・山城守に任ぜられました。景勝の会津入部にともない、兼続は米沢城主となり6万石を領します。関ヶ原合戦の西軍挙兵と家康挟撃作戦を直江兼続と石田三成が示し合わせていた、ともいいますが信憑性はありません。兼続は文化面でも大きな足跡を残し、命じて刊行させた『文選』60巻は直江版とよばれています。

# 次のページ
* 前のページ

関ヶ原日記
1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

最新のTOPICS
以前のTOPICS

戀HOME