関ヶ原日記
1月24日発信
家康は加賀小松城主丹羽長重を先鋒として利長を征伐するという情報をながします。加賀に帰った前田利長にとってまさに寝耳に水の話は五大老のひとり宇喜多秀家からもたらされました。利長は家臣を大坂に派遣し叛意のないことを家康に弁解しましたが、なかなか家康を納得させることができません。1599年12月になって、利長は母・芳春院(まつ)を人質として江戸に下向させるという屈辱的な条件をのまされ、加賀前田家は家康に屈してしまったのです。
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