関ヶ原日記

1月3日
豊臣秀頼は若狭小浜城主木下勝俊を京都の豊国社に代参させています。豊国社は秀吉を神格化してつくられたもので、1599年4月に正遷宮されました。後に豊臣家滅亡の一因となった『国家安康』の鐘銘で有名な方広寺の鎮守社という位置づけになります。豊国社は全国に分祀されるようになり、秀吉の画像や秀頼直筆の「豊国大明 神」の書がつくられました。なお、木下勝俊は秀吉正室(おね)の甥にあたります。関ヶ原合戦で失領。のち長嘯子と名乗り、和歌の世界で名をあげました。

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