寺沢弘高
てらさわ ひろたか
1564(永禄7)−1633(寛永14)
戦国大名
信長に仕え、のち秀吉の臣となる。文禄の役では肥前名護屋城普請に加わる。関ヶ原の戦いでは東軍に属して岐阜城の攻略などで功をあげ、1601年(慶長6)、天草四万石を加封された。21年(寛永2)次男堅高(かたたか)に家督を譲る。弘高の没後、キリシタン弾圧と農民への圧政に対して一揆が蜂起、島原の一揆勢に合流して島原の乱となる。翌年、堅高は天草領を没収され、正保4年に発狂自刃。家は断絶した。
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