細川忠興
ほそかわ ただおき
1563(永禄6)−1645(小保2)
戦国大名
幽斎の子。丹後宮津17万石の城主。信長、秀吉に仕える。関ヶ原の戦いに徳川方として出陣中、大坂屋敷を石田勢に襲われ、正室玉(ガラシャ)は人質として入城を要求されたが、これを拒否して絶命。戦後、豊前中津城主、ついで小倉城主に栄任、その子忠利の時、肥後54万石の熊本城主となった。1619年(元和5)、家督を子供に譲って剃髪し、三斎と号した。「利休七哲」に加わる茶の湯の達人で、和歌、絵画、蹴鞠、有職故実に通じた文化人であった。「細川三斎茶書」ほか著作多数。
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