しばたかついえ せいぼつねん
1523〈大永2?〉−1583年〈天正11〉 かたがき
戦国武将

キャッチフレーズ
「瓶割り柴田」の異名を持つ織田軍団随一の猛将
安土桃山時代の武将。織田家の宿老、越前北ノ庄城将。通称権六、修理亮。信長の弟で尾張末森城主・織田信行に仕えていたが、信行が信長との家督相続争いに敗れ、信長が実力を発揮しはじめるとこれに心服し、信行の二度目のクーデター決行を阻止する功名によって信長直臣となった。
 以後、信長の出陣にあたっては常に先鋒をつとめ、幾多の武功をあげた。ことに浅井長政の叛逆で京畿の政情が不安定となった1570年(元亀元)、長政と結んだ六角承禎の攻勢から近江の長光寺城を守ったとき、飲料水の瓶を割って城に戻らない覚悟を示して部下を奮い立たせ、勝利に導いたことから「瓶割り柴田」の異名をとった話は有名である。
 その後1575年(天正3)越前一国を与えられ、北ノ庄(福井)の城主として北陸の経営に務めた。このとき九層の天主を持つ城を築き、先に滅びた朝倉氏の一乗谷から商人、職人を呼び寄せ、また寺院などを移して新しい町つくりを行なった。
 80年加賀の一向一揆を平定し、ついで越後上杉氏への侵略を開始したが、本能寺の変が起こったため北ノ庄に撤収し、政権の継承をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と対立した。しかし北ノ庄が雪深い北陸に位置したため、政局を有利に展開することができず、83年賤ヶ岳の戦に敗れ、夫人のお市の方(小谷の方)とともに自殺した。
 武将であるとともにすぐれた民政家でもあり、秀吉と政権を争うのにふさわしい人物であった。


関連人物
お市の方 



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