きたのまんどころ せいぼつねん
1549年〈天文18?〉−1624年〈寛永元〉 かたがき
戦国武将の室

キャッチフレーズ
秀吉を陰で支え、天下取りを助けた糟糠の妻
豊臣秀吉の正室。名は寧子、愛称「ねね」「おね」。尾張朝日村にて杉原定利の次女として生まれる。浅野長勝の養女となり、1561年(永禄4)14歳で木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚。実子はない。織田信長も賞賛したほどの才媛で、領内統治に対しても意見を述べるなど、秀吉の成功も彼女の内助の功によるところが多い。また秀吉も彼女を立て、おろそかにしなかった。秀吉は生涯16人の側室をもち、淀君と二子を儲けたが、おねは良妻として秀吉を陰で支えた。おねはまた、秀吉の生母・大政所にもよく仕えた。
 85年(天正13)秀吉が関白に就任すると、北政所(関白の妻の意)と呼ばれるようになり、天皇家と豊臣家の折衝役を務めている。
 98年秀吉の死後、淀君が豊臣の世継ぎ秀頼を連れて大坂城に移ってきたので、尼となって京都三本木に住み、高台院と号した。関ヶ原の戦いでは親徳川的な行動をとり、豊臣家滅亡後は、徳川幕府から化粧料一万三千石を与えられた。1624年76歳で病死。


関連人物
徳川家康  豊臣秀吉  淀君 

関連図版
肖像画 




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