
あしかがよしあき 
1537年〈天文6〉−1597年〈慶長2〉
室町幕府将軍
戦国乱世の世に翻弄された室町幕府最後の将軍
室町幕府十五代将軍。父は義晴。母は近衛尚道の女。同母兄の前将軍義輝が松永久秀らによって滅ぼされると、出家して奈良の興福寺に入っていた覚慶(義昭)は寺を脱出し、細川幽斎の手引きで近江国甲賀郡にある和田惟政の城に入った。1566年還俗して義秋を名乗り、朝倉義景を頼って越前に移った。68年元服して義昭を名乗る。その後、織田信長に奉じられて上洛、征夷大将軍となり、幕府再興を果たす。しかし翌年ごろから信長との対立はすでにくすぶり始め、73年春、対立はついに爆発し、義昭は二条城にこもって抗戦、信長は上京焼討ちの実力行使に出た。勅命によって一度は和睦するが、7月にはついに京都を追われ、信長との連合政権も幕を閉じ、室町幕府は滅亡した。その後義昭は、毛利家に身をよせ、大坂で生涯を終えた。
関連人物
織田信長
豊臣秀吉
朝倉義景
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室町幕府
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